雑記

いい絵とはどういうものだろうか

2022年2月20日

いい絵が描けるようになりたいな、と思っていて、では自分にとっていい絵とはどういうものだろうと考えたときに下記の3つのことが浮かんだ。

  • 真剣に向き合われているもの
  • よく鍛錬された能力で完成されたもの
  • 心から描きたいものが描かれているもの

自分の場合は、これらの条件のうち、どれかに当てはまればいい絵だと感じ、当てはまる条件が多いほど、よりいい絵だと感じることが多いなと思う。

真剣に向き合われているもの

対象をとてもよく観察しているとか、とても丁寧に描かれているとか、形がきれいにとられているとか、色使いにとても気を使っているとか、真剣にその絵に向き合ったことが伺えると、その絵を見せてもらえて良かったな、という気になる。

逆に適当さや、投げやりさが感じられると、その絵をよく見たいという気がなくなってしまう。

よく鍛錬された能力で完成されたもの

何十年も描いているとか、線がとても綺麗でとても真似できないと感じるような、よく鍛錬された能力で描かれた絵も、見た時にいい絵を見せてもらえたなと感じる。その人の鍛錬してきた重みを感じながら、その絵を見ることができて、ありがたい気持ちにもなる。

熟練された、熟達したものが見たい。

心から描きたいものが描かれているもの

描きたいという気持ちが伝わってくると嬉しくなるような感覚がある。楽しく描いたのだな、とか、表現せずにはいられなかったんだなと思うと見ていて気持ちがいい。

逆に、こういうものを描けばみんな嬉しいんでしょう、というような計算が感じられてしまうとその絵に対して興ざめしてしまう。

以上の3つの条件で、そのうち1つだけが当てはまればいい絵だなと感じることがある。例えば、鍛錬された技術ではなく、とてもつたない技術だけど、真剣に描かれていたり、描きたいものが描かれていたらその絵には惹かれたりする。

絵そのものからそれが伝わらなくてもいい

これらの条件はどれも抽象的なもので、従って絵から伝わってくるかどうかはわからない。本人は真剣に描いているかもしれないけど、絵では真剣さが伝わらないこともあるかもしれない。

そういう絵だけでは伝わらないことが、絵以外で伝わってきても、その絵がいい絵だと感じることがある。

例えば、どういう気持ちでこれを描いた、と事細かに説明していたり、普段から絵の対象物が好きで好きでしょうがない、ということを発信されていたりすることを知っていたりすると、真剣さや描きたい気持ちというものは伝わる。

また、毎日毎日描いているということがわかると、その絵が鑑賞に値すると感じることがある。スヌーピーとかミッフィーとか、描かれたもの自体はとても単純な線ではあるけれど、それが何年にもわたり、描き続けられたものと知ることでよりじっくりその絵を見てみようという気になったりする。